思うことは一つだけ

雛祭りの果てにたどりついた思考。

 

思うことは一つだけ

 

 

下書きもなしです

 

 

というのは、今日の生活保護に関する全体つぶやきにコメントしてくださった方のご意見が、一理あると思いつつも、やっぱり違うんじゃないかなと思いまして

 

 

ここで改めてコメントとレスを晒すのも失礼かもしれませんので、あえて転載しませんけど、一応(知らない方に対する言い方としては、けっこうキツく)反論しておきました

 

 

 

平等について

 

 

私自身は、理想としては完全フラットな平等主義を支持しています

 

 

ですから、民族や性別や出身や身体的特徴によって差別をすべきではないと思っています(実在する人物にハゲとか言いませんw)

 

 

同時に、天皇家を含めて、王族などの特権階級もいずれは廃止されて欲しいと思っています

 

 

人生がスタートした時点での差は限りなく小さいのが本当の平等だという、機会の平等主義ですね

 

 

この考えに対しては、賛成反対はあるにせよ、理解はしてもらえると思います

 

 

ただ、機会の平等は可能な限り保証されるべきである反面、結果の平等を保証するのは公平ではないと考えています

 

 

 

公平について

 

 

公平となると、私の意見は少数派かもしれません

 

 

仮に、生活保護の受給要件を満たしているのに、申請の方法が分からない、または、役所で拒否されてしまった人が100人いるとします

 

 

その人たちは、本来でしたら、必ず受給できる状態だったとします

 

 

そういった人たちを救うためのボランティア(いろいろ問題があるのは知っています)が、申請を手伝って、役所に掛けあい、50人が無事に生活保護を受給でき、命の危機から逃れられたとします

 

 

残りの50人はボランティアの調査網から漏れてしまい、生活保護の申請すらできない状態だとします

 

 

これは、公平でしょうか?

 

 

ボランティアだから限界があり、仕方ないかもしれませんね

 

 

では、ボランティアでなく、役所から派遣されたケースワーカーや民生委員でしたら、仕方なくないでしょうか?

 

 

私は、もし知人以外の、ボランティアや公的な立場の人が救うのであれば、100%でなければ公平ではないと思います

 

 

100%が現実的に不可能であるなら、1人も救わない方が公平です

 

 

人生には運はつきものだから救われなかった人は不運なだけだ、という考え方は好きですけどw運を制度に組み込むのは不謹慎ですよね

 

 

生活保護の問題で、「本当に困窮していて救われなければならない人たちが救われていない」という意見が散見されます

 

 

私も心情的には同意します

 

 

しかし、「本当に困窮していて救われなければならない人」を、どうやって見つけて、本当かどうか選別するのでしょうか?

 

 

これは、「本当は困窮していないけれど上手くやって生活保護を受給している人」を選別できないことと表裏一体ですよね

 

 

 

自分が救われる、命が長らえられる、場合によっては自立できる、そういった情報や手段にアクセスできず、身近に手伝ってくれる人がいないのでしたら、その人は切り捨てるのが本当の公平です

 

 

もっとキツい表現をすると、身近にそういった相談をできる人がいないのは、本人の生き方に問題があったのだと思います(親戚や友達は大切にしましょう)

 

 

そういった人が、生活保護の受給要件を満たしているのに餓死してしまった、という結果は平等ではありませんが、公平は満たしています

 

 

対して、その情報や手段にアクセスできて、助けを受ける条件を満たしているのでしたら、その場合は完全に助けるべきです。

 

 

それが機会の平等で、かつ、公平も満たしています

 

 

 

 

世の中には、いろいろな権利があります

 

 

しかし、権利を行使して受益するためには、努力しなければなりません

 

 

生存権は換金できませんが、健康や文化は、ある程度はお金で入手できますよね

 

 

他の人がお金を使って入手している物事を、天から与えられたように享受できるのが「法の下の平等」であるのでしたら、それは、法律が間違っていると思います

 

 

平等は、あくまで機会に関してだけに限定されるべきです